【人生の振り返りシリーズ】③不登校のはじまり

私のこと

私は、不登校、摂食障害を経験しています

摂食障害は、薬から卒業できるまで5年ほどかかりました

その後もずっとカウンセリング治療は続けていたので
寛解と言われる状態になるまで
トータル8年くらいはかかったと思います
(このあたり、記憶が曖昧です)

思い出せる限り、書いてみようと思います
長くなりますがお付き合い頂けると嬉しいです

子どものころの私

私は、保健室によく行く生徒でした

それは母が亡くなったからというわけではなく
母が元気な時からでした

元々、ちょっと繊細というか
変化、空気に敏感な子どもでした

そして、頑張り屋さんでした

小学校低学年の時からストレスで体調を崩すことはあったし
学校をズル休みすることもありました

友達もいるし
学校でトラブルがあるわけじゃないけど
集団で生活する「学校」という場所に疲れやすかったんだと思います

小学2,3年生の頃には肩こりが酷いと
祖母に心配されていました

小学生で肩こりっておかしいですよね

体の使い方だけでなく
精神的な要因も大きいと言われたことがあります

しっかり者のお姉ちゃん

私は、比較的しっかりした子どもでした

なので大人の話もよく聞いていたし
洗濯、掃除などの家事も母に教えられていました

弟が年長の時には、週に1度
弟の習い事に母が間に合わないという理由で

学校帰りに小学4年生の私が迎えに行って
弟とその友達1人を習い事の教室に送る

なんて事もありました

時代を感じますよね(笑)
今では考えられないですもんね

学校と保育園が隣接していたこと
習い事の教室が帰り道だったことを踏まえても
それをさせる親もスゴイなと
親になった今、思います

その選択肢があるくらい
私がしっかりしていたんですね

呪いの言葉

母が倒れたことで
元々の性質がより強化されていきます

「お姉ちゃんだから、しっかりね」

「お父さんも、おばあちゃんも大変だから
YUUが手伝ってあげてね」

4つ下の弟は「まだ小さいから」と言われて
私は「お姉ちゃんだから」と言われる

叔母たち周囲の心配からくる【呪いの言葉】が始まります

これを会うたびに言われるんですね

どんどん私の意識に刷り込まれていきました

この言葉に反発を覚えるようになったのは
中学3年生くらいになってからですね

叔母たちと会うことが苦痛になり
少しずつ距離をとるようになりました

でも【呪いの言葉】はすでにしっかりと
私の中に沁み付いてしまっていました

教室にいられない

母が亡くなってから
少しずつ不登校の気配が出てきます

数か月に1回、1週間前後学校に行けない
休むようになります

小学6年生ごろから中学生になっても続きました

ほとんどの理由が「頭が痛い」「食べられない」だったと思います

朝、父が出ていくまでは体調が悪くて
父が出勤して、学校が休めると思うと元気になります

「ズル休み」と自分でも思っていましたが
身体がしんどいのも嘘ではありませんでした

学校に行けば、友達もいます
中学では部活もしていましたし
何かイヤなことがあるわけではありません

それでも教室に座っていることが息苦しい
今すぐ逃げ出したくなる感覚でした

なので保健室が逃げ場所でした

保健室の先生と話すことで楽になるということではなく
保健室のベッドで1人になれることで
やっと少しだけ息が出来る感覚でした

拒食の前兆 食べられない

中学3年生の夏頃に、今から思えば
最初の拒食症状が出てきました

とにかく食べられない

お昼のお弁当も、半分以上フルーツにしていましたが
それでも食べられず
クラスの男の子にあげていました

病院にも行きましたし、薬も飲んでいました
胃カメラの検査をしても異常がない

「精神的なことが原因としか思えない」と言われました

そうだろうな~と他人事のように思ったのを覚えています

もちろん身体はどんどん弱っていきます

部活も出れなくなり、そのまま引退になりました

この時はどのタイミングで回復したのか覚えていません。
夏休みに入ったことがきっかけだったかもしれません。

「学校に行かなければならない」状態から解放されたことで
気持ちも一緒に休めたのかもしれません。

この後、受験モードに入った秋以降は
普通に学校も行っていましたし
志望校に向けて勉強も頑張っていました

無事に志望校に合格し、中学を卒業しました

自分を苦しめる思考パターン

体調が悪くなる=注目してもらえる、頑張らなくても許される

この方程式を、私は本当に小さな頃から
【成功体験】として持っていたんだと今になって気づきました

身体が弱いという自己イメージでしたが違いますね

自分を見てもらうために、体調を崩していたんです

そうしないと、見てもらえないと感じていたということです

それと同時に

頑張る=褒めてもらえる、注目してもらえる

この方程式も持ってますね

この方程式があるからこそ

頑張らないと認めてもらえない

この価値観が出来上がっているんだなと思います

頑張らないと認めてもらえないと思っているからこそ

学校に行けない自分を1番許せていなかったのは
【私自身】だったなと思います

「学校に行かなければならない」と思っているからこそ
休んでいても気持ちが休まるわけでもなく
ずっと自分を責め続けていました

そうするからこそ回復もせず
ズルズルと行けない状態が続くという
負のループに陥っていました

そしてこの負のループは
今でも油断すると陥りがちなパターンです

子どもの頃の思考パターンはこうやって
強化されていくんですね

ここから、私の人生では一番しんどい時期に入っていきます
長くなるので、今日はこの辺で

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