【人生の振り返りシリーズ】⑪不妊治療中の気持ち、そして離婚

私のこと

小学生で母を亡くし
その後、不登校、摂食障害、うつ病、結婚、不妊治療、離婚。
その後、再婚したものの再度、不妊治療を経験しました

ようやく授かった子どもなのに、今度は子育てが辛くて悩みました

母が倒れた時からの人生の振り返りを綴っています

①母が倒れた

②実感できなかった母の死

③不登校の始まり

④不登校時代(出会いに恵まれた高校生活)

⑤休学。そして、通信制高校へ転入学

⑥人生で1番辛かった日々~摂食障害とうつ病~

⑦回復期~環境の大きさ~

⑧再発~カウンセリング治療~

⑨治療の経過と変化

⑩不妊治療~男性不妊~

⑥人生で1番辛かった日々~摂食障害とうつ病~以降は
自傷行為などの表現も含みます

苦手な方、影響を受ける可能性がある方はご注意ください

妊活中に辛かったこと

「子どもが欲しい」と思ってからは
毎月毎月、自分の気持ちのアップダウンが本当に辛かったです

病院に通う前から、基礎体温を測り
排卵期にはソワソワして
高温期になると、もっと落ち着かなくなります

自分のちょっとした体調にも一喜一憂して
もしかしたら…そんな期待でソワソワ

でも、生理がきてしまうと落ち込む

毎月、これを繰り返していると
どんどん心がすさんでいくのを感じていました

友達の妊娠にも素直に喜べない時期もありました

私の場合は、【元夫に共感してもらえないこと】
これも辛かったです

でも…

「ない!」ばかりにフォーカスしていて
重苦しいエネルギーを出していただろうなぁと
今なら申し訳ないなと思います

まだ頑張らないとダメですか?

元夫の男性不妊がわかったときは
絶望感しかありませんでした

まだ頑張らないとダメですか?

そう思ったことをハッキリ覚えています

うつ病、摂食障害を乗り越えてきて
結婚するまでに、実は元夫のことでも色々ありました

元夫の病気(完治)や、仕事中の事故でのケガ(軽度の障害も残っています)
様々なことを乗り越えて、8年かけてやっと結婚しました

なのに…まだ試練がありますか?
「お母さんになりたい」
ただ、それだけなのに。
それすら簡単には叶わない

乗り越える気力みたいなのがなくなった感覚でした

それでも希望があるうちは、わずかな希望を信じて
転院をし、治療に進んでいきました

ですが、たった3ヶ月足らずで現代医療の限界を迎えました

この時は、心身ともにボロボロになっていました

男性不妊が発覚した直後に
1度卒業していたカウンセリング治療も再開しました

自分で自分の状態が把握できなかったからです

もう少し頑張っても大丈夫なのか
もう踏み越えてはいけないラインまできているのか

それが自分で判断できなかったので
先生を頼りました

私には、頼る場所、頼れる人がいたので
なんとか踏ん張ることが出来たと思います

すれ違い

逆に元夫はというと
どんどん自分の殻に閉じこもっていきました

私とそのことについて話し合うことを避け
オンラインゲームの中に逃げるようになりました

元々、表面上はリーダータイプの
自分が周りを引っ張っていくタイプだったので
人に弱っているところを見せるというのが苦手な人でした

それは私に対しても同じでした

この頃から、元夫とのすれ違いを感じ始めました

どんなに話し合っても、話が伝わらない

同じ日本語を話してるのかな??と思うほど
こちらの意図が伝わらない
相手の話も理解できない

そんな感覚になっていきました

初めて自分の将来を考えた時間

  • 元夫とのすれ違いを感じたこと
  • 元夫といる限り、自分の子供を望めないという事実

この2つの現実が目の前に現れたとき
初めて、自分のこれからの人生について
真剣に考えました

・私は、これから先の人生、どう過ごしていきたいのか?
・なぜ子どもが欲しいと思っているのか?
・元夫と結婚したのはなぜだったのか?
・これから先も、元夫と一緒に過ごしていくことは出来るのか

色んなことを考えました

子どものいない人生も勿論、考えました

子どもがいることが全てではないと思っていました

身近に、子どもが出来なかったけれど
とても仲良く過ごしている60代の親戚もいたから
子どもがいなくても幸せに過ごせるということは想像できました

でも、どうしても
自分が母親になっていない人生が
思い描けませんでした

私がお母さんにならないわけがない

自分でもよくわからないけれど
強くそう感じていました

自分の意志ではないような声でした

だからこそ、養子という選択肢も考えました
でも元夫は、養子には反対でした

じゃあ、子どもがいない人生を過ごすとして
その時のパートナーは元夫なのか??

この先の50年の人生を一生に歩んでいける人なのか?

私のこれからの未来には、どんな選択肢があるのか?

毎日毎日、考えました

その間、元夫とは普通に日常生活を送っていました

日常生活を送りながらも、話し合いも重ねていました

ある時の話し合いで、決定的な出来事がありました

その時に、初めて心から

この人とこの先も過ごすことは無理かもしれない
私の人生を、この人の犠牲にすることはできない

そう思ってしまいました

離婚

私の覚悟が決まったら
周りが急に動き始めました

父に相談しようと思っていると
父から先に「帰ってきてもいい」と言われました

元夫の妹(義妹)から連絡があり2人きりで話をしました
「今は一度、離れた方がいいんじゃないか?」と言われました

義妹は、私より年上だったし、看護師でもあったので
今の状況をとても理解してくれていました

元夫の性格もよくわかっている上で、
私のことも心配してくれていました

全ての状況、私の想いを全て話したうえで
理解も示してくれました

私は、実家に戻りました

そこから離婚までは早かったです

9月に不妊治療の終わりを迎え
11月には別居
翌年1月には離婚届を提出しました

決断することの強さ

私目線からの勝手な想いとしては

子どもが出来なかったことは
宇宙からのサインだったんだなと思います

何度もサインは来ていたけれど
私はそっちを選ぶことが出来なかった

だから、こんな大きな出来事になったんだなと思っています

「子どもが出来なかったこと」は
人生を考えるきっかけになりましたが
元夫と離れる決断をする決定打ではありませんでした

出来れば一緒にいたかった
最後まで支えあっていきたかった

元夫が嫌いになったわけではありませんでした

ですが、離れるしかありませんでした

お互いが見ている方向が全然違っていました

この時、振り返ると短い時間でしたが

とことん自分のことを考えて
もがいて、悩みぬいたこと

大きな決断を自分自身で決めたことは
私にとって初めての経験でした

それが出来たことは大きな学びになりました

自分自身で決断した分、
決めた後の気持ちはスッキリしていました

暗闇から、道が開けた感覚でした

その時の感覚を、振り返りを通して
改めて感じることが出来ました

元夫も、今は子どものいる女性と再婚して
お父さんになっていると共通の友人から聞いています

彼も幸せに過ごしてくれているといいなと思います

まとめ

長く続きました【人生の振り返りシリーズ】は
この「離婚」で一旦終わりにしようと思います

最後に、なぜ振り返りをしようと思ったのか
振り返りをしてみての感想を
別記事にまとめて終わりにしたいと思います

あと、もう少しだけお付き合い頂けると幸いです

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