通信制高校へ転入学した18歳の頃が
私の人生の中で1番辛かった時期です
逆に言うと、あれ以上辛かったことはないと思えること
あの辛かった時期を乗り越えたという事実が
今の私の支えにもなっています
どんな経験でも無駄なことはないんだなと今やっと思えます^^
拒食から過食嘔吐へ
休学、そして通信制高校へ転入学してからも
軽い拒食を繰り返しながら過ごしていました
いつ頃からかハッキリした記憶はないのですが
ずっと拒食状態だったのが、拒食嘔吐→過食嘔吐に変わっていきました
身体は欲しているので、たまに衝動的に食べるのですが
それが許せなくて、自分で吐くことを覚えてしまいました
そうなると、状態は悪化する一方です
自己誘発嘔吐をするようになってから
高校の保健室に遊びに行ったときに
先生から病院の受診を勧められました
私は病院に行きたくなくて迷ってたんですが
父と、当時付き合っていた彼に話すと
彼が病院を探してくれて「初診に付き添うから」と説得され
しぶしぶ初めての心療内科受診でした
でも、この病院はそんなに長くは通わなかったと思います
どんな病院だったのかも覚えていません
ただ精神安定剤などの薬は出たんだと思います
自傷行為
この頃、ほぼ同時にリストカットも始まっていました
最初のきっかけがなぜだったのかも覚えていません
何かでイライラして
泣きながら部屋に閉じこもっていて
ふと目についた、机にあったカッターで、腕を切ってみたらスッとした
それだけが強く印象として残っています
カッターなので1回じゃ血も出ませんでした
なので同じところを何度もなぞって切りました
ホントに薄っすら、血も出るか出ないかの傷です
それでも、気持ちは落ち着きました
すぐにカッターじゃ物足りなくなって
剃刀を使うようになりました
最初は腕の外側だったのが、手首の内側に変わりました
この時の傷は、今でも残っています
一生消えないんだろうなと思います
腕の外側に傷がたくさんついてる時点で
すぐに親にもバレました
もちろん怒られたし、止められました
何より親の悲しそうな顔がショックでした
でも、もう自分では止められませんでした
ちょっとイライラすることがあると「切りたい」
血が出るのを見ると落ち着きました
同時に「生きてる」って思いました
もう、心身ともにボロボロの状態でした
この「切りたい」という感覚は
実は今でも残っています
本当にやりたいわけじゃなくて
「切ったら気持ちが楽になる」という思考が染みついてしまっていて
ストレス状態が限界近くなると、自動的にそういう発想になる感じです
切っても痛いだけで何も解決しない
これも理解できているので、もう2度とやることはないですが
ここを体感するまで、何年もかかりました
精神科に入院
病院に通い始めてしばらくした頃、1ヶ月入院することになりました
夏だったので、自己誘発嘔吐で脱水状態が続いている私は
頻繁に家でも立ちくらみで倒れるようになっていたんです
当時の家には、昼間は祖母しかいません
祖母は足が悪かったので、私が倒れてもどうすることも出来ず
父が病院に相談して、入院できる病院を紹介してもらいました
私が入院した病院は、ごく普通の市立病院でした
精神科ではありましたが、シャワーも自由に使えるし
ちゃんとカーテンもある、一般病棟です
私は家から離れられることに、とてもホッとしていました
入院が決まっただけで、水分だけは取れるようになりました
(それまでは水を飲んでも吐いていました)
入院時の基礎検査で、極度の飢餓状態になっていたことがわかりました
心拍がゆっくりになっていたそうです
入院したからと言って、すぐに食べられるようになるわけではありません
入院中も、ずーーーーっと寝ていました
うつ病(うつ状態)になると
不眠になる人が多いのですが
私の場合は、過眠になるタイプでした
明け方に寝て、日中はほとんど寝ていました
夕方から少し元気になって
また明け方まで起きている
うつ病の人の典型的なパターンかなと思います
私の場合は、話すこと、向き合うことを避けるために
昼夜逆転させていたのかもしれません
寝ている間だけが何も考えずにすむ時間でした
うつ病になるとお風呂に入れなくなる人も多いです
私は、元々お風呂が好きだったので
お風呂に入れないことはありませんでした
でも、お風呂に入った後、動けなくなることはありました
単純に、お風呂って体力消耗するんです
シャワーを浴びただけでも、フラフラするほど
体力は低下していました
私が入院した病院は、一応精神科ではありましたが
カウンセリング治療などがあったわけではありません
ただ【病院にいる】それだけでした
それでも、何もすることがなくずーーーっと寝ていると
イヤでもエネルギーって溜まるんだと思います
2週間が過ぎたくらいから
少しずつ食べられるようになってきました
病院の食事じゃなくても、ゼリーだったり売店のお菓子だったり
食べられるなら何でもいいから!と言われていました
ずーーーっとベッドで寝ていたのが
少しずつベッドにいることがヒマだなと感じるようになり
院内をウロウロ出来るようになっていきました
テレビが見れるようになりました
本当にしんどい時は、テレビもただの雑音でしかなく
苦痛な刺激でした
最初から入院できる期間は1ヶ月と決まっていたので
着々と退院の日が近づいてきます
退院することが不安で仕方ありませんでした
家に帰ることで、また元に戻ることが不安でした
当時の気持ち
自分だけが自分を許せない
病院にいることで、何が良かったのかなと考えると
「何もしなくても許される」ことだったのかなと思います
これは、誰に何を言われているわけでもなく
私自身に対する言い訳だったように思います
家にいて、昼夜逆転し、食事もとらない
ただ寝ているだけの生活
この頃は、父はすでに理解を示してくれていたので
私が元気になることだけを望んでくれているのはわかっていました
だから、寝ているだけの生活でも何も言いません
そのことを1番許せてなかったのは私自身でした
焦りばかりが募る日々
ただ毎日過ぎていくだけで何も出来ない
周りの皆は受験生で、未来に向かって頑張っています
自分はこの先どうなるのか
動きたくても動けない
いつまでこんな状態が続くのか
焦りばかりが募っていました
焦れば焦るほど、自分の今の状況が不幸でしかなくて
生きていることに意味はあるんだろうか
私なんかが生きていていいんだろうか
自分の存在を消してしまいたい
ずっとそんなことを考えていました
自分が生きているから、周りが大変なんだ
それしか考えられなくなっていました
愛されているのか不安だった
私がこうなったのは、親のせいだ
なんで、こんな風になるまで気付いてくれなかったのか
なんで私ばっかり苦しまなきゃいけないのか
そんな怒りもありました
その怒りを自分自身を痛めつけることによって表現していたんだと思います
周りから注がれている全てのことに目を塞ぎ
何も聞かず
何も見ない
暗闇の中に自分からどんどん入っていきました
それはそれは、苦しい時間でした
つい最近まで、当時のことを思い出そうと思っても
真っ暗なイメージしかなくて
思い出すことも出来ませんでした
やっと振り返れるようになって
今だから見えてきたことがあります
悲劇のヒロインになって
自分自身を責めるフリをして
全てを周りのせいにしていたこと
そのくせ、自分へのハードルも高かったです
【自分の現在地が見えていない】
まさにこれだなと思います
出来るはずもない理想の自分を描いて
それが出来ない自分を責めていました
親の期待に応えられなかった
そのことに自分がガッカリしてたんだと思います
期待に応えられなかったことで
親からの愛情を失う不安もあったと思います
拒食も過食嘔吐も、自傷行為も全て
それでも私は受け入れてもらえるのか
試していたんじゃないかなと思います
そうしないといけないくらい私は寂しさを抱えていたんですね
私は愛されていたし、幸運の持ち主でした
今なら、ちゃんと愛されていたなと感じることが出来ます
好きなだけ寝込むことが出来た
好きなだけ引きこもることが出来た
食べたいときに食べて
お風呂に入って
何不自由なく過ごすことが出来た
病院に通うことが出来た
友達と連絡が取れたのも携帯を持っていたから
全て無料ではありません
全て父がお金を出してくれているから
出来たことです
親だから当たり前
それは、そうかもしれません
私の子どもが同じ状態になっても
必ず同じように元気になるまで見守るでしょう
でも、全ての人がそうだとは限りません
誰にも助けてもらえず
生活そのものに困っている人もいます
私の場合は、10代で高校生だったことで
守ってもらいやすい年齢だったこと
学校に通っていたことで
親以外の先生方に気付いてもらえたこと
理解ある先生方との出会いから
親の理解を得ることができ
適切な治療を受けることが出来たこと
全てにおいて幸運だったと思います
それでも諦めてなかった
誰も私のことなんてわかってくれない
誰も私のことなんか必要としてない
とても孤独で、とても辛かったですが
それでも、誰かと繋がることを諦めなかった
今の状況をなんとかしたいと思っていた私も確かにいました
だからこそ通院は続けていました
高校の友人や、中学の友達とも辛うじて繋がっていました
当時は、インターネットが普及し始めた頃で
知らない人と繋がれることで孤独感を紛らわせていました
今の立場からは、色々な危険も伴うので決してオススメはしませんが
顔も知らない人だから話せることもある
救われることもあるのは事実だと思います
実際に、インターネットで元夫と出会いました
元夫とは今は別れていますが
当時、私が回復できたのは元夫の支えのおかげでした
その点は今でも感謝しています
長くなってきたので、続きはまたにします
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