小学生で母を亡くし
その後、不登校、摂食障害、うつ病、結婚、不妊治療、離婚。
その後、再婚したものの再度、不妊治療を経験しました
ようやく授かった子どもなのに、今度は子育てが辛くて悩みました
母が倒れた時からの人生の振り返りを綴っています
治療の経過
2001年 拒食症の症状悪化で、入院
秋頃、元夫と出会う
2002年 元夫と同棲することで実家を離れます
この頃は、1度通院も投薬治療も終了
2003年 元夫とともに実家に戻ってしばらくして
拒食、うつ状態の再発
この時に通い始めた心療内科で
しばらくの投薬治療
2004年 カウンセリング治療開始
2006年 毎日の薬の服用から卒業
頓服だけお守りのように使用
2008年 カウンセリングの先生が、通っていた心療内科から移動のため
心療内科からの卒業
カウンセリング治療は、先生の移動先にて継続
2010年 カウンセリング卒業
年数ごとに治療の経過を書いてみると、こんな感じです
恐らく…最後の自傷行為は2006年か2007年頃
自傷行為をすることはいつの間にかなくなっていきました
自傷行為がなくなったのと、ほぼ同じ時期に
薬の服用(頓服も含む)も完全になくなっていると思います
自然と必要としなくなったので
この辺の記憶は曖昧です
1番キツかったな、辛かったなと思うのはやはり1番最初の入院の時期ですかね
再発したときも、かなり苦しかったです
治ったと思ったのに…というショックも追加されたので
カウンセリング治療を開始してからも
辛い時期は度々あって
予期せぬトラブルも多々あって
なんでこんな目に…ということも本当に多かったんですが
精神的には少しずつ楽になっていった印象です
働くこと
闘病中、アルバイトもたくさんしました
なかなか自分が働けるペースが掴めず
週4,5日のペースでスタートして
数か月~1年未満でエネルギー切れを起こして、辞めるということを
何度も繰り返しました
仕事内容や人間関係の影響も大きかったのですが
ちょっとくらいしんどくても休んではいけない
という私の思い込みが自分自身を苦しめていたように思います
基本的に、仕事は休まない方がいいんですが
無理して働き続けて、ある日突然出勤出来なくなること
1日、2日休んで迷惑をかけてもまた仕事に復帰できること
どちらが迷惑なのかを考えられるようになったのが
恐らく2007年頃ですね
実際、2007年に始めたアルバイトは
初めて1年を超えて勤務することが出来て
結果的に4年間働くことが出来ました
週に3日勤務くらいからスタートしたと思います
シフト制だったので、もう少し増える時もありましたが
1日の勤務時間も5,6時間と短い時間から始めました
最初のハードルを下げたられたことが結果的に良かったです
寝れない時期が訪れたり
食べられない時期もあったり
体調不良で早退させてもらったり
休ませてもらったり
それでも心配してもらって
受け入れてもらって、また働ける
この経験を積めたことは、その後の自信にもなりました
1回失敗すると、もうダメという
極端な思考だったんだろうなと思います
日頃、ちゃんと仕事をしていれば
周りは助けてくれるものなんですよね
それを感じられるようになったことで
少し自分を許せるようになったのかなと思います
カウンセリングの経過
自分のパターンを見つける
最初は、その日のしんどさ、その日の辛さを
ただただ話すだけのカウンセリングでしたが
カウンセリングで話すこと
先生から心理学的な見解を聞くことで
少しずつ少しずつ、自分の状態を把握できるようになりました
それまで突然、電源が落ちるみたいに
うつ状態に突入して
動きたくても動けない状態だったのが
少しずつ自分のサインを見つけていきました
「疲れてるよ」「これ以上動くと危ないよ」といった
自分なりのサインです
私の場合は、【寝れない】ということが
まず最初のサインでした
これが続くと、食べられないに変わっていきます
記録(書く)ことは後々、役に立つ
このサインを見つけるのに役立ったのは
「書く」ということでした
元々、言葉にできない感情を
ノートに書くという習慣はありました
本当に辛いときだけ書く「ブラックノート」です
毎日書いてる時期もあれば、
何か月も書いていないときもある
書くことが思いつかない時は元気な時でした
書いてる内容は、まさに独り言です
人には見せられない言葉が綴られています
このノートにプラスしてブログを書くことで
私は自分の気持ちを見つけることが出来るようになっていきました
本気でどうでもいい日記しか書いていませんでしたが
それでも見てくれる仲間がいて
辛い時は吐き出して、コメントで励まされることで
少しずつ少しずつ自分を認められるところも出てきました
過去の怒り
今の状態が落ち着いてくると
過去へ遡る作業もしていきました
やはり【親への怒り】のようなものは大きく
これを乗り越えるのには、2年くらいかかった気がします
父にも一緒にカウンセリングに来てもらい
「直接怒りをぶつける」ということもやりました
この時、怒りをぶつけても、私の中で何もスッキリしませんでした
それは、もうすでに【父からの愛情】は受け取っていて
【父の事情】も理解できる年齢になっていたからです
それでも【幼少期の怒り】というのは
ずっと残ったままになっていました
頭では理解しているけれど、気持ちがついてきていない状態でした
ここは、もしかすると…
今でも完全には昇華されていないかもしれません…
当時の私は、そう思ったんだよね
そう受け止めて、そのまま置いておく
それしか出来ないのかもしれないなと思っています
結果が出たのが2007年
改めて時期を整理してみると
2007年頃から急に落ち着いて過ごせるようになっています
3年かけてトライ&エラーを繰り返し
その都度、自分の状態、感情、状況を見つめることで
少しずつ超えてはいけない範囲を体感していきました
逆に、ここまでは大丈夫という範囲も体感しました
「出来る」を積み重ねていきました
それが全部繋がって、成果としてはっきりと現れたのが
ちょうど2007年頃だったんだと思います
やっぱり一気に変わる魔法はなくて
毎日のコツコツ、諦めずに続けることでしか
変化はないんだなと
振り返ってみて改めて感じます
これは、今の学びでも繋がります
「コツコツやることが得意だね」と言ってもらったことがありますが
それは、この経験からきているんだなと思いました
自分では気付きませんでしたが
どんな出来事からも、得ているものはあるですね^^
元夫との関係
私が変化していく中で、元夫との関係も色々と変化しました
難しいこともたくさんありました
最初は頼りになると思っていた元夫ですが
実は色々と問題のある人でした
今から思えば…ですが
彼自身が何か乗り越えるべき問題を抱えていました
だから、どこか自分を大事にしないようなところがあり
次から次へとトラブルも起こす危なっかしい人でした
弱い自分を隠すために強がっている人でした
なので、今から思えばよく我慢してたと感心するほど
モラハラ的な部分、言葉のDVに近いものもあったと思います
出会った当初は、私自身が本当に弱っていたので
彼自身に支えられていましたし、彼に依存している状態でした
その状態が、彼にとっても心地良かったんですね
でも私が少しずつ回復し、強くなっていくことで
「彼がいないとダメ」という状態ではなくなっていきます
そうなっては困るので、制限をかける言葉は多かったように思います
徐々に、喧嘩することも増えました
一緒にいることが辛くなり、別れた時期もありました
それでも、やっぱり長く一緒にいた人なので
居心地の良さもありました
結局、交際&同棲期間8年を経て、結婚しました
【オススメ本】この人と結婚していいの?
元夫との関係に悩んだ時、出会った本がコチラです
この人と結婚していいの?
このインパクトのあるタイトルに惹かれて手に取りました
著者の石井希尚さんは牧師さんで
結婚前カウンセリングをされています
その経験と、ご自身の体験、学びを元に
この本を書かれています
男女の捉え方、感じ方の違いを
実際の例をあげて書いてあるのですが
例えが面白いんですよね
男は ウルトラマンで裁判官
女は シンデレラで体温計
一見、不思議な表現ですが
読んでみると納得です!
実際に、この本を読んで元夫への接し方を変えると
本当に反応が変わって驚きました
この著者の他の本もいくつか持っていますが
今でもたまに読み返しています
もう古い本なので、なかなか書店にはないかもしれませんが…
結婚…そして
話は戻りまして
元夫とは結婚後、とても平和に過ごしていました
結婚前に1度別れたときに
今まで溜め込んでいた不満を全部ぶつけました
「別れる」という決断をしたときに
元夫は、初めてちゃんと話を聞いてくれたように思います
「どうせ俺からは離れない」そんなおごりがあったと
話してくれました
この時、別れたことは良かったなと思っています
私も、自分で決められたという自信にもなりました
そのまま、別の人と出会うという選択肢もあったんですが…
最後に大きな出来事があり
結局、結婚生活は2年で終えることになります
長くなるので、また書きます
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